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みんなで歩こう二ヶ領用水
水害とのたたかいを探る

日   時 : 2011年11月23日(祝) 13:00~16:00
天   気 : 曇り
探索エリア : 久地の円筒分水公園と横土手
参加者数 : 51名

≪コース≫
JR南武線久地駅 → 二ヶ領用水合流点(落合) → 龍厳寺 → 久地悪水吐跡 → 久地の横土手 → 供養塚 →  伝説「浄庵安正」「ひとばしら」 → 養周院 → 久地村大圦樋 → 久地分量樋(溝口水騒動) → 久地円筒分水 → 平瀬川トンネル → 久地神社 → 久地不動尊 → 久地の梅林 → 旧堤防 → 平瀬川河口(ラバー堰と浄化装置) → 解散

≪調査内容≫
今回の散策は、しばしば水害にみまわれた久地地域を訪ね、水をめぐる人々の歴史を探索する。

JR久地駅

JR久地駅周辺で今回の行程に関する説明があった。
二ヶ領用水合流地点(落合)

向かって右側が宿河原堰からの支流、左側が上河原堰からの本流。
龍厳寺(りゅうごんじ)

横土手工事については上流と下流の人々の間でしばし起きていたが、堰村名主家に寄食していた浄庵安正は、今こそ恩を返すときとばかり、工事を止めない役人を斬り殺し、そのまま支配違いの井伊領へ出頭したとされる。
この龍厳寺には浄庵安正の墓があるとされるが、詳細は不明である。
久地の横土手

多摩川の氾濫のため、二ヶ領用水と直角に横土手が作られた。そもそもの難工事と犠牲となる上流からの抗議と妨害があり、中断された。
二ヶ領用水 久地分量樋跡

八代将軍 徳川吉宗の命を受けた田中休愚により、多摩川から取り入れられた水を各堀ごとに定まられた水量比率に分配する施設があった。
久地の円筒分水

昭和16年、多摩川右岸農業用水改良事務所所長 平賀 栄治の設計で作られた。
平瀬川の下を潜ってきた水を円筒の堰に導き、溢れ出る水の量は円筒の長さに比例して分配される。
平成10年には、川崎市で初めて国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
また、平賀 栄治顕彰碑が近年たてられた。
平瀬川トンネル

平瀬川トンネルは豪雨による川の氾濫を防ぐため、左側の第1トンネルが昭和15年~20年、右側の第2トンネルが昭和42年~45年に作られた。
流下能力は、第1トンネルが毎秒30立方メートル、第2トンネルが毎秒80立法メートルである。

久地梅林公園

平瀬川にかかる新久地橋付近の川辺家は、江戸時代、園芸樹種改良を命じられ、数百株の梅を植えたことから、屋号も「梅屋敷」といった。さらに明治以降、東京近郊の名所として多くの観光客に親しまれ、茶店もできるほど賑わったという。
 なお、この公園は平成17年にたてられ、園内には北原 白秋の文学碑もたつ。

旧堤防

元名主「川辺家」前をとおり、多摩川河畔を経て「二子神社」」から二子新地駅方面に至るまでが旧堤防で、昭和8年に現在の堤防が完成したため、旧堤防と呼ばれている。
この堤防は、溝口、二子方面の田や大山街道などを多摩川の水害から守るための「霞土手」であったようだ。
平瀬川河口

1960年代から平瀬川の上流から中流で都市化がすすんだため、水質が急速に悪化した。そのため、平瀬川河口の「ラバー堰」から河川敷の下にレキを敷き詰つめ浄化設備に水を通す「レキ間接触酸化法」による水質改善設備を整え、多摩川に放流している。